ヒューム「ベルグソンの芸術論」(1)/藤原 実
 
という考え」は打ち砕かれ、「すべてのものが人間の眼の一点に集中していると想像するのはもう不可能」になってしまったとパージャーはいうのです。


しかし、カメラ、特に映画のカメラは中心など存在しないことを宣言したのである。印象派にとって目に見えるものは、もはや人間に見られるためにはあらわれない。それどころか目に見えるものは絶えまのない変化のなかで流動するようになった。また立体派にとっては、目に見えるものは、一つの眼が向きあっているものではなく、描写される対象のまわりに存在する面や点を集めた可視的視野の全体性であった
        (ジョン・バージャー『イメージ Wa
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