俳句の非ジョーシキ具体例3/佐々宝砂
行分け俳句に出会ったのがはじめてだったので「これが俳句か」という驚きも少しはあったけれども、それ以上の驚きが「母を脱ぐ」という視点。もう比べるものがないほど斬新に感じた。
吉野弘に「I was born」という有名な詩がある。私は、誕生を扱った詩を読むといつも吉野弘のこの詩を思い出す人間だったが、高柳重信の上句に出会ってからは、重信の句を凌ぐ誕生の詩はそうそう簡単には登場しないだろうと思うようになった。吉野の詩では、英語という外国語によって、「生まれる」という日本語も実は「受動態」なのだという発見がなされる。それはそれで新しい発見だ。それはそれでいいとして、では、誕生を受動態ではないかたちで
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