僕の衰弱した右脳に関する覚書/川村 透
さて、ここまで来るとなんだか直感的に(僕の、かりそめの右往左脳)が
いわゆるひとつの「詩」を属性として選ばざるを得なかったことを説明す
る仮説が成り立つ。すなわち恋のコミュニケーションの手段としてもっぱ
ら僕は古典的な恋文を、感情吐露的な原初的な「詩」として表現するとい
うありきたりでもしかしたら中学生的なところから始めざるを得なかった
のだった。言葉の論理toolとしての側面に短絡回路を生じせしめた事件以
来僕は断続的で非視覚的な、イメージというよりも言語像や観念において
すこぶる未熟で野蛮な幻視者としてリハビリを続けてゆく事になる。私信
の形をとりながら恋文はいつしかタ
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