ヒューム「ベルグソンの芸術論」(4)/藤原 実
 
残酷な季節の訪れ」)を区別することが、すなわち、メタファー研究のすべてであるかのごとく精力を傾けている。それでうまく説明しつくせなくなると、擬隠喩というのを中間に設ける(ポスターなどの「高原は招く」やニュースの「冷たい戦争」など)。そして「審判」のつまらなさもこの、文学と非文学、詩のメタファーと日常のコトバ、をあまりにも鋭く区別したがる傾向から来ている、とぼくはかんがえる。そこでは、コトバが生きていない。あるいは、神風タクシーの運転手のように、まちがった方法で酷使され、へとへとに疲れている。これ式のコトバはぼくたちのハナシ言葉の世界から、ずーっと遠いところで、ぼくたちの実感とかかわりなしに、それ自
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