ヒューム「ベルグソンの芸術論」(5)/藤原 実
ありそうな記事---おそらく荒地派の洗礼を強く受けた世代のひとが主に書いたのでしょうか、コトバに対する荒地派的なマジメさと偏狭さに充ち満ちています---なのですが、ながらく書きかえられる様子もないところをみると、あまり強く異を唱えるひともいないのでしょう。そうすると現代詩って、だいたいこんなものだろう、とみんな思っているのでしょうか。
「法律への違反は論理的に法律の存在なしに成立しえない。さて、ノンセンスの言語はセンスの言語に(反面的に)支えられてしか成立しないという高橋の的確な指摘を、私たちはさらに逆転させてみるべきではないか。
すなわち、私たちの日常言語は
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