【家庭の詩学】 #2 わかるということ/043BLUE
 
合の「感覚」とは「感性と知性を連動させたような感覚」であると思う。その世界では、必ずしも「論理」や「理屈」を必要としないから(特に頭の悪いぼくのような人にとっては)、「直感」や「勘」という「感覚」による認知も可能だ。(というか、その方が合理的であると思う。直感系としては。)どちらにしても、作者から読者への精神的なコミュニケーションが図られるためには、こうした読者の側の言語的な「感受性」に頼らざるを得ない。

  この「存在」に対する「認知と確信」は、一種の「信仰」だといっても大げさではないと思う。直感系詩人はどうもここらへんの「感覚」に頼って読んだり書いたりしているのではないかと思う。(少なく
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   グループ"【家庭の詩学】 シリーズ#1−5"
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