【家庭の詩学】 #2 わかるということ/043BLUE
 
なくとも自分自身は) この「感覚」はある意味「絶対的真実」だ。その「経験」は、紛れもない「真理」だ。口に入れたものが何か、あるいはどう調理されたのかが「頭で」わからなくても、「美味いものは美味しいのだ」。一方、頭での認知は絶対的ではない、「体験」によって覆されることがあるからだ。おいしそうに見えても、食べてみたらまずかった・・・・・みたいな。この「絶対的な感覚」に頼るとすると・・・・・詩を読む→頭で「わからない」→でも「感動した!」が可能なのだ。もしくは、詩を読む→頭で「わかる」→でも「べつに感動しない。」こともある。その他のバリエーションももちろんある。

  あー・・・・うまく説明できない
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