批評祭参加作品■現代詩の記号論1/葉leaf
ている。この美の感覚もまた、ある程度の強度を備えるとき、人が重大な真実を発見したときに抱く感情に似た、目覚しい感情を鑑賞者に与える。それゆえ、詩の誘発する美の感覚が一定以上の強度を持つとき、鑑賞者はそこにあたかも真実を見たかのような感情(真実感)を抱くことになるのである。
だから、我々が芸術作品に接して真実感を抱くとき、実は切迫感や美感を通じて真実を見たように錯覚しているだけで、本当に真実を見ているわけではないことも十分考えられる。この場合我々は真実なき真実感を抱いているわけで、真実がないのだから、原理的に真実を知ることは不可能である。あえて真実に対応するものを挙げるとするならば、それは作品の
[次のページ]
前 次 グループ"第3回批評祭参加作品"
編 削 Point(6)