アクロバティックな午後/合耕氏の作品について/渡邉建志
 
上に着いていて
同時にメガネを外す準備もばっちりなんだ

(これをはじめて読んだときにはその映像のすごさにひっくり返ってじたばたしました)とか、その「同じ」ということがなんかのフェチズムみたいになってぼくらを襲います。で、狐に戻りますが、「病気のとき専用のコスプレ術を知るのだ」のわけのわからなさもたまりません。専用が間違っていると思います。コスプレしてどうするんだ!とおもいます。いちいちつっこんでもつまらないけど、ええいままよ、ぜんぶいうのだ。コスプレじゃなくてコスプレ術というのもいいし、なにより「知るのだ」というちょっと偉そうな言い方がたまらず、そういえばキキさん
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