アクロバティックな午後/合耕氏の作品について/渡邉建志
 
ていると泣いてしまう
これも狐つき

これは先に指摘したどこからどこまでが主観でどこからどこまでが客観なのか分からない構文上のいたずらの聯でたまらないです。まず「指示した」のが誰か分かりません。聞こえる?聞こえているのかな という独り言はかわいくて萌えだし、たぶんこれは狐つきのセリフで、「どうもこの」という自明性というか読者があたかもそこにいて同意を求められている性というかがたまりません。突然現われる全員(誰がいるの?)とかカメラ(今回の狐つきはテレビマンなのだろうか)。しかも摘み上げたり踏んだりしているのは誰でしょうか。泣いてしまうのは狐つきなんでしょうけれど、ま
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   グループ"フレージストのための音楽"
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