俳句の非ジョーシキ具体例6/佐々宝砂
 
四二.一九五キロをみな包丁持て走る (摂津幸彦)

俳句は怖い。恐ろしい。どのくらい恐ろしいかって、「俳句」というキーワードでぐぐってみたらいい。いくつひっかかると思う。どれだけのひとが、どれだけの俳句を書いていると思う。私たち詩人がだらりんと言葉を吐いているあいだに、俳人たちはどれだけ言葉を削り言葉を巧み言葉を愛していると思う。たまには俳人を見習え、詩人よ。数の上でも。また質の上でも。言葉に対する態度の上でも。しかし人のことは言えない。私は自分のことを、五七五の定型から逃げて詩に入ってきた人間だと思っている。俳句に較べて、だらだらと詩や散文を綴ることの、なんと簡単なことか。

私の俳句の
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   グループ"俳句の非ジョーシキ(トンデモ俳句入門)"
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