[248]ワタナbシンゴ[06/03 12:15]★2
ある」という、えらく当たり前のことだと思う。
(お手軽に自分の感情をマスターベーションする書き手読み手に対する警句ともとれるが)
Fiorinaさんは詩を文学のジャンルという意味で用いていないようだけど
まあ何でもいいや、うまい鮨に詩を感じても、小野のゴールシーンに詩を感じても。
たとえば、鮨づくりを、サッカーを長年厳しく継続している一流のひとたちは(だらだら時間だけ長くやっているだけのひとは別よ)
Fiorinaさんがここで「詩的時間の蓄積」と呼ぶものと同じことをやっているだろうし
鮨が好きで食い続けているひと、サッカーが好きで見続けている人は
やはり、より広く深い味わいを得ること
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