[9]……とある蛙[2011 10/26 11:19]
を見出すことは容易であろう。

写生とはsketchという意味ではい、生を写す、神を伝えるという意味だ。この言葉の伝統をだんだん辿って行くと、宋の書論につき当る。つまり禅の観法につき当るのであります。だから、斎藤(茂吉)氏は写生を説いて実相観入という様な言葉を使っている。空海なら目撃というところかも知れない、空海は詩を論じ、「須らく心を凝らして其物を目撃すべし、便ち心を以て之を撃ち、深く其境を穿れ」と教えている。心を物に入れる、心で物を撃つ、それは現実の体験に関する工夫なのである。
(小林秀雄)

朔太郎の詩の象徴様式に関する一視点
長野隆

?詩の形象(観念を具象化した像)の可視
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