[72]深水遊脚[2011 11/17 09:10]
るごとに一度はきちんと向き合う、そんなことを無理のない範囲で繰り返しています。私が出会った詩も、最初はわからなくはないけれど印象に残らない詩の一つでした。その最初の印象だけで二度と向き合うことがなかったならば、大げさでなく、人生はまったく別のものだったと思います。多義性は、読者が作品にふれた一時点で発現するものでなくてもよいのだと思います。私の以上の体験は、時点の差が作り出す多義性の証明になっているかと思います。あまり強弁するつもりもないのですが。
 メタファーがここで話題になって以来、レトリックの本をいくつか読んでいます。自分の詩にそれと意識しないまま使っていたものがいくつかあってけっこう面白
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