[148]……とある蛙[2013 05/13 13:17]
れる。しかし対象の模倣(写実)自体はやり尽くされており、新しい芸術は結局人間の根源的なものに訴えるものでは無かろうか、たとえば、リフレインを中心とした規則性の性癖。それに基づく再構成による意味の構築もあり得る。 そうであるならば、究極の芸術の一つは規則性を自覚した無規則なリフレインであって、フリージャズ辺りだったのだろうか。良く分からない(笑)。

 言葉という固まりは解体できない。それを前提とすれば、言葉の意味の範疇あるいはその組み合わせで鑑賞者との関係性を構築して行くしか無い。それすら解体していれば無意味な記号を並べての曼陀羅模様みたいな抽象画にするしかないかもしれない。
 しかし、それ
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