[137]……とある蛙[06/17 19:39]★2
評理論が裏表で意外と密接な関係にあるのでないかと考えられます。そのあたりも問題提起した動機なのですが(笑)。
 エミリー・ディキンソン除き、みな想定される読者を意識して書いています。ポオにしろ、その影響を受けた詩人はみな。ランボーですら詩人が責任を負うべき対象として受け手側(人類及び動物という規定の仕方ですが)を意識しています。
 考える意味はあると思います。日本の詩論でほとんど欠落している部分ではないかと思います(全くないとは言いませんが)。山本太郎さんが半ば自嘲気味に詩人の独善についてその趣旨のことを書いていたと安藤元雄さんがエッセイで書いていましたが(笑)。
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