[129]……とある蛙[2012 05/22 16:36]☆
あるが、決して卑下するような低俗な物でなく、これを昇華して新たな観光視点で表現する境地こそ俳諧の目指すところである。
つまり、芭蕉の余り良くない弟子の子考の著した東西夜話などに書かれた「言語は仮のものなれば……」つまり、言語の表現自体を目指すのではなく、言語の表現しようとした先(新たな視点による外界の捉え直し)を目指して平俗的な言葉で表現することこそ俳諧の目指すところだとしている。定石の域を出ない高踏な言葉は並べたところでマンネリにならざるを得ない。
猿蓑の有名な発句にもその萌芽が見られる。
初しぐれ猿も小蓑をほしげ也
晩年の五年間に芭蕉は「軽み」を深化させようとした。
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