[110]小池房枝[2008 11/15 17:11]★1
切れてしまっている。
そして同じように、日本語は日本語でも古文などの場合、心の中に自分の文法、自分の感覚があるひとは少ないのではないでしょうか。古文が好きでずっと親しんで来たようなひとたちは別ですが。語彙は、自分の中にある。見聞きしたときに場面や前後や過去知識から意味は分かる。だけど使っていて「それ文法違ってませんか?」と言われたとき、自分の心の中にカタコトやヒトコトずつの言葉があるのは確かだけど、では、文法は?
だから、ほんとうは慌てる必要も憤る必要もないのです。自分の中に確かにある何かの感覚を、何かを、否定されたわけでもなんでもないのですから。その上で、もし言いたいことや意味したいこと
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