[514]あおば[2009 02/18 22:52]★1
天井が高くて明るくモダンな200名程度収容できる白い壁の教室で、午後からの講義が始まるのを左最前列の席で待っていた。右隣には詩の若い知人、Kさんが座っている。話はいつのまにかSLの走行速度の話になり、彼が吉増剛造さんから伺った話では、時速37キロしか速度を上げられなかったという。シベリア抑留中のことだと思う。彼の地の炭坑専用線の線路はずいぶん酷かったのだと思う。いくら速度のでない貨物機関車だとしても、時速37キロとは遅い、川越線の通勤列車を引いていた、動輪径の小さな9600ですら、軽く時速50キロを超えて軽々と木立の間を抜けて畑を抜けて荒川橋梁を渡っていったと、追憶に耽っていた。吉増剛造さんが運転
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