創書日和【清】清水/大村 浩一
 
清水には時々出掛けた
中学から高校を卒業する頃までは
静岡に最も近い隣の市(し)だったから
中学の時 清水港線や静鉄清水市内線に一人で乗りに出掛けた
母親の買ってくれたコニカのカメラに
怪しい銘柄の18枚撮り白黒フィルム
鉄道マニアであることがクラスでの存在理由だったから
どちらの路線も高校に入るまでに廃止された
高校の頃は他校の友達と自転車で強行突破
輸入モノのプラモを置く模型屋があって
電車代が惜しい それだけの理由
体力だけはあったが片道一時間かかった
行ったのは模型屋だけ
港も見なかったし次郎長の事も知ろうとしなかった
ただ一度きり見た袖師の うら淋しい路面電車
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