ヒューム「ベルグソンの芸術論」(5)/藤原 実
であるから、この新しい詩には表現形態というものがなく、直接に対象がつくられている。
…我々は単にそのイメージの世界を感覚すればそれでよい。それで意味が不明であっても、イメージの世界が透明でありさえすればよい」
(「詩の感覚性」)
このように何ものも象徴しない、思いがけない、無意味な、イメージそのものを感覚することが西脇の「モダニズム」でした。
当然、ここには荒地派が求めるような「思想性」も「批評」も「倫理」もなく、あったとしても、詩作の「材料」としての思想やモラルであって、それらは換骨奪胎され、融通無碍に組み合わされ、「新しい関係」というフ
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