ヒューム「ベルグソンの芸術論」(6)/藤原 実
 
ェードを見て楽しむときに味わう種類のものだ。こういう機知が成り立つための主な条件は、当の品物が、普通の基準からすれば、決して高級な芸術でもよい趣味のものでもないことである。対象が軽蔑されていればいるほど、あるいは表現されている感情が陳腐であればあるほど、よいのである」



寺山修司は初期の天井桟敷を回想して「私は見世物からメイエルホリドまでというキャッチフレーズで、巨人侏儒から変身願望者、衣装倒錯症など『いわゆる祝祭的人間』ばかりを集めて、カーニバルを演出することばかり考えて」いたと書いています(『戯曲 毛皮のマリー』:角川文庫)が、彼のなかのキャンプ的要素をう
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