帰らざる海まで/恋月 ぴの
 
「こんばんは、お久しぶりね」
聞き覚えのある声に振り返ると
おんながひとり乗っている
「今日ぐらい早く帰ってきてね」と
妻にせがまれたのに残業を強いられた
可愛いひとり娘の誕生日だっていうのに
営業会議の資料作りを押し付けられた
おんなは頬に穏やかな微笑を湛えている
このビルの最上階にある事務所には
俺しか残っていなかったはず
着床したエレベーターの扉が開いたとき
籠内の鏡に映ったのは疲れきった俺の姿だけ
「どうしたの、怖い顔なんかして」
このおんな
親しげに話しかけてくる、このおんな
は俺が殺したおんな
派遣社員として俺の会社に入ってきて
俺がちょっかいを出した
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