「言葉と私」/ふるる
 
でしょうが、なんか言語っていうとえらそうなので、言葉っていうことにします。)



2016年、久しぶりに自分の書いたものを読みました。

言ってることはつまり、マジョリティ側の強い言葉と、自分の持っているマイノリティ的感覚的な言葉との違いに悩んでる、ってことだと思う。

みんなが言っている、強い言葉に支配されたくない。

(という文言さえ、何か強い言葉に支配された結果なのかもしれない・・・)


なので、今はそこまでこだわりはない。

でも、一般的(とされる)美的であったり、ちょっといい話、をわざわざ詩で言う
必要はないな。とは思う。書いち
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