「それぞれのエクリチュールにおいて問題になっているのは、それぞれある固有のコドモの誕生なのだと。どのようなエクリチュールも、最終的には、言葉を知らない、コトバ以前の感覚的な、感性的な存在を、コトバによって、ということは同時に法によって貫かれた倫理的世界へと、――ある決定的な痛みや外傷を通じて誕生させるという企図なのだと考えなければならない。」その存在は「コトバをしらない<infanntia> [次のページ] 前 次 グループ"【家庭の詩学】 シリーズ#1−5" 編 削 Point(8)