読むことのスリル──ひだかたけし小論(6)/朧月夜
 
詩歌というものそれ自体があいまいな形式を持つものであったからです。
 古来から、人は詩とは何か? 歌とは何か? ということを問うてきました。日本の詩には、一般的に言って脚韻というものが存在しません。これは、五七五七七という形式に「歌」が縛られてきたからでもあり、その形式が極めて優れたものであったことも影響しているでしょう。萩原朔太郎は、こう言いました。「日本の詩の基本は頭韻にある」と。
 ですが、ここで「詩論」を持ち出すことは止めましょう。詩というものが何であるか、という問いは、詩人の原動力になるものでもあり、また読者を追従させ、あるいは反発させるものでもあるからです。ひだかたけし氏の詩を技巧
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