【批評祭参加作品】小笠原鳥類×小林銅蟲「ねぎ姉さん」/KETIPA
 
画が現代詩に近づく瞬間をまのあたりにできます。

意味を否定してもそこに意味が見出される、そして無意味という意味が組み合わさって、はじめの意図や衝動とは全く違った解釈が、はるか砂漠の果てからでも生まれてくる。

現代詩とか作品とかって、そうやって成長すればいいんじゃないですかね。本物も、解釈可能性も、優劣も必要ない。のーみそこねこね((C)コンパイル)しながら、偶然と必然をぐっちゃぐちゃに煮つけて4コマにでも8コマにでも4000コマにでもしてしまえる。4コマ漫画がここまで自由なのに、コマの制約すらない現代詩が不自由でどうする。
   グループ"第5回批評祭参加作品"
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