【批評祭参加作品】わかンない!/藪木二郎
、という諦めさえ、赦しては貰えない様子なのです。
どうもこれらのことについては、ドゥルーズとかいうひとの微分とかいう用語だとか、デリダとかいうひとの差延とかいう用語だとかが、関係して来るようなのですが、その後者のほうのひとに触れていた、割りと最近の文章から、引用して締めに……。
[……]「私たち」って誰なんだい。河津だってデリダくらい読んでいるだろうから、一人称複数を不用意に口にすることの危険は充分承知のはずだ。ましてこれは散文ではなく、詩的言語である。(四方田犬彦「いつもすでに中上より遅れて 河津聖恵『龍神』」『現代詩手帖』思潮社、二〇一〇年一〇月、三五頁)
まあ私も、そして皆さんも、この河津とかいうひとではないわけですから、デリダとかいうひとを読んでいないからといって、それほど気にする必要はないのかもしれませんがね……。
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