【批評祭参加作品】うたう者は疎外する/される/岡部淳太郎
り、社会の側に一方的に傾いて、数多ある個人の心の彩りを無視してしまうからだ。社会の側に立つということは個人の事情を最初から考慮に入れないということであり(そうでないと、社会的態度であるとは言えない)、それで個人がいくら泣き喚こうが一切関知しないということである。だが、絶えざる認識の往還によって自らのマイノリティ性を確立してしまった個人にとっては、それでは済まないのだ。社会の側からの意見も頭ではわかるが、心情的に納得出来ない部分がどうしても残ってしまう。その、計算式から零れ落ちた余りのようなもやもやしたものを抱えて生きていかなければならないのは他ならぬ自分自身であり、いくら社会の側からそれでは逆差別
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