批評祭参加作品■「散文的な夏」 岡部淳太郎 /たりぽん(大理 奔)
せるつもりは毛頭ない。
私が岡部淳太郎の詩について考えるとき、ついその「夏性」にとらわれて作品と言う「個」ではなく岡部淳太郎という「場」を評してしまいそうになる。それは作品群に一貫して流れる地下水脈のようなものを強く感じるからだろう。深く静かに枯れることなくそれは作品を育てていく。同じ水と同じ土に毎回撒かれる「詩」という作物。そのひとつがこの作品だ。そしてそれは決まったように夏に収穫される。
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「 散文的な夏 」 岡部淳太郎
冒頭からの四つの連のなんという密度。これは夏の日差
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