批評祭参加作品■現代詩の記号論1/葉leaf
 
るかもしれない。だがその楽しみは、純粋に詩を読んで楽しんでいるときに比べれば、だいぶ減殺されたものである。情緒的作用が後退するという意味で、詩の分析の最中は、分析者にとって詩はほとんど死んでいるのである、と。
 しかし、かりに詩の分析の最中に詩の情緒的作用が不在だとしても、詩の分析が無意味であるということになるだろうか。鑑賞と分析では目的が違う。鑑賞の目的が情緒的高揚を得ることだとしたら、鑑賞において情緒的作用が不在なときは鑑賞は無意味であるということになるかもしれない。だが、分析の目的は情緒的高揚を得ることではない。分析の目的は論理的な理解を得ることである。ある分析を評価するとき、人はその分析
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   グループ"第3回批評祭参加作品"
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