批評祭参加作品■気風は断絶したか?/岡部淳太郎
 
でもひとつの個として書いていこうとする姿勢には疑いを差し挟みたいところだ。「気風」の存在を認めた上であえてそれに目を向けずに書くのなら(むしろ現代においてはそうした書き方が一般的であるかもしれない)まだいいし、そのような態度には一定の理念が入りこむこともあるだろう。だが、「気風」を見くだしてわがままにふるまうのは良くない。ひとりの人間が数え切れないほど多くの先祖が次の世代にバトンを渡した結果として生まれるのと同じように、いまここで書かれている詩作品は先行する多くの詩作品の存在なくしてはありえない。人は詩を書くことは出来るが、詩を発明することは出来ないのだ。
 いまの私の気分としては、二十一世紀の
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   グループ"第3回批評祭参加作品"
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