批評祭参加作品■僕たちの罪は、どうすれば癒されるのだろう/2TO
だろうが)との交叉する統合の地点にあるものこそ「物質(性)」であると言ってもいいように思われる。しかしながら、そのような弁証法的な対立が同時に含有されるパラドクサルな地点、先の表現を使えば「大きなものでありながら小さなもの」、「隠されたものでありながら明らかなもの」といった、不思議の国に迷い込んだアリスが経験したような地点にあって、はたして「物質(性)」はその性質を保つことができるだろうか? そして、作品=「わたし」であるような地点においては?
このような問いは、さしあたり「一回で二つの方向[=意味]へ行くこと、射ることが、生成することの本質である」*8という地平へと落ち着かせることにしよ
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