批評祭参加作品■僕たちの罪は、どうすれば癒されるのだろう/2TO
ら」を「かれら」へとして贈/送ること、ただそれのみである。あたかも「綺麗な水」という結晶を、イライザあるいは同相の存在者である「欠落のために生み出された」マリアに贈/送るがごとく……。だが、それは「奇形児たち」の「そうしつ」を埋め合わせるのではなく、新たに「BAROQUE」の形象を「棺」へ、またはその「かいがら」のイマージュに生み出すことである。
なぜなら、「わたしたちは、どうしようもなくゆるされている」(最終連)といった留保なき赦しは、おそらく生成の過程の最中にあるからである。それは「かいがら」がイマージュとして現われたこの最終連のほとんどの部分が「改訂」によって書き出されていることと連
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