批評祭参加作品■狐のかわごろも/石川和広
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中也のいう「倦怠」は、この文でいうと「一日の怠慢」にあたるような「聴衆の誰にも」気づかれない場所で感じる過失に近いのではないでしょうか。それは誰にも気づかれなくても何かが見ている。けれど、何が失敗であるか感じているのだけど、表出できないために苦労するどうしようもないものかもしれない。中也のこの詩は恐らく青年期の心理みたいにも読めるでしょうけれど、謎の欠落を抱えているためにどうしようもなく愛したり愛されたりする。そして、そのことに盲目であるためにどうしていいかわからなくなる人間の条件ではないでしょうか。
例えば子どもの頃、夢は何かと聞かれて「サッカー」と答え
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