批評祭参加作品■狐のかわごろも/石川和広
何とかではなくて、そういうぶらりとした状態をかろうじて我々は「愛」や「私」で埋めているのかもしれない。けれど、生きているのは、そういうかろうじて埋めている状態なのです。中也は欠落を埋めなくて、そのことにも罪を感じています。そういう形で、そうとしか生きられないんだけれど、それが限界なんで、それはいい悪いの問題じゃないといっている。
いわば、中也は、生活と生活からはみ出してしまうもののうち、生活を切り落とす。生活を切り落としてしまったら、生活からはみ出してしまうものは空白というか存在しないものになります。幽霊とか、確かに狐のかわごろもみたいな得体の知れない何かになってしまう。幽霊だとしたら死
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