絶語の果て/渡邉建志
いの宣告をうけ、入院生活を余儀なくされることになった。これを与えられた機会と考え、纏った読書でもしようかと、枕頭に単行本や雑誌の類種々を積んではみたが、どうも手を出す気になれない。筋道を追い、人物の心理が綾なす複雑な糸をたぐるような小説の類は、特に、気分がのらない。
結局、イタロ・カルヴィーノの短編と、蕪村の句集を、それも、一行、或は、一句ずつ、味わうように目で追っていた。
たぶんそこには、意味が直ちに完結せず、つまり、因果関係の説明に費されるような文章ではなく対象への観察が精緻で深く、それでいて(或はそれだからか)こちらもかなり自由に、新たな思惟を展くことが可能なような言葉が在るからだろう。
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