アクロバティックな午後/合耕氏の作品について/渡邉建志
 
くるのであれば、著者のなかの萌え的感情を誘っているのだろう
・携帯したい→ショーン君は携帯できる、あるいは携帯したいと思わせる性質があるのだろう
結局「わたし」はショーン君を見ていて携帯したいとおもうぐらいショーン君に萌えているのだと思う。携帯したいっていうのがやっぱりいい。満ち満ちてというのもよくわからないけどいい。

タイ語でも お星様には 鋭すぎ

タイ語がいい。

よさないか 白濁しないで そのまんま

よさないかがいい。なんだか偉そうだけど偉そうじゃない。何が白濁するの
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   グループ"フレージストのための音楽"
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