アクロバティックな午後/合耕氏の作品について/渡邉建志
んでいると、詩の翻訳不可能性なんてあるのかないのかわからないけどかっこよさげな言葉が頭に浮かんでくる。翻訳してしまうということは、解釈を含んでしまうんじゃないだろうか。いろいろつかみがたい絵が浮かんでくる。
引用部は比較的イメージが固定しやすくかつユニークだと思った。この作者にはこの二つの特徴があるんだと思う。つまり、錯綜したとらえがたいいろいろなイメージがわいてくる場面と、非常にユニークでありえないけれど確固として固定できるイメージと。私は後者が好きなのだけれど、最近前者の特徴も好きになってきた。現代詩フォーラムの投票の行き方を見ていると、前者を愛する人が多いみたいだ。後者の決定打みたいに
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