浸透と破水/キキ氏の作品について/渡邉建志
じゃないのか?と言われそうだ。それは参る。
もうすこしきちんと書くと、末梢神経的(キキ氏)と脊髄神経的(レント氏)と言うのが近いのかもしれない。もっと言うと、肌的なものと、神経束的なものの違いなのだ。レント作品が脳髄へぐいぐい侵入してくるのと対照的に、キキ作品はぼくらの指先を触っては逃げていく。だから、ぼく自身が詩を追いかけていかないと、味わうことができない。読んで、一発でどーん、と来るタイプではない。最初に「苦手な」、と書いたのはそういう意味だ。半年ぐらいかかってじわじわくる。それぐらい、ささやかだけど、浸透するのだ。肌的というのはそういうニュアンスである。
ぼくは詩を書くためには宇
[次のページ]
前 次 グループ"フレージストのための音楽"
編 削 Point(6)