浸透と破水/キキ氏の作品について/渡邉建志
は宇宙を爆発させなければならないと信じていた―ひょっとすると今でさえそう思っているのかもしれない―、けれど、そうではない、生活の、人間の形をした、個別の詩のあり方というものがあるのだ、ということになんとなく気づき始めてきた。世界の中心にいなくても詩は叫べる。叫べなくてもいいのだ。世界の中心に存在しうる人と存在し得ない人がいる。し得ないのであれば、するように努力するのは賢明ではないのかもしれない。
苦手というのと嫌いというのは違う―嫌いだったら、わざわざとりあげてこんなに頑張って論じたりしない(僕ならば)―。苦手なものの中に、好きになりえそうな潜在的可能性を見出すとき、やはりそれを受け取ろうと
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