眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
かけて)、他の6篇のゆったり流れるような須賀の美しい筆跡ではない。興奮して素早くスケッチしているかのようだ。その後、筆跡は落ち着きを取り戻すように見えるが、「雪いろの/生チーズをつくる。/リヴィアは、/栗色の髪の/夕星の瞳の/リヴィアは」あたりで、再び字が少し乱れ、行が少し斜めを向く。これはなにを意味しているのだろうか。
須賀はこの詩を書くときに、興奮していたのだと思う。須賀は、ローマの学生寮の若い友人(まだ17、8だったと思う)リヴィアの故郷について、そのアマンテアという音の美しさについて、後年の作品で触れていた。アから始まりアでおわる、この丸い甘い響き。全集の年譜を見る限り、おそらく須賀は訪
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