眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
 
を選んでみずからくるしんでいるのは、ほとんどの人から見れば「ばかげてゐる」ように見えただろう。須賀自身、このひとと違う道行きを、「おそれずとよいのだ。」と自信を持って言えるようになるのに、これから30年かかったのではないだろうか。あの深い教養と知性と感性をもった須賀さんでさえ(、であればこそ?)、こんなにもくるしかったのだ、ということが、この詩の書かれた60年後を生きる私の頭を垂れさせる。



アマンテアでは
カラブリアの
アマンテアでは
陽ののぼらぬうちに
娘たちが
素足を
草の露に染めて
手かごに
桃をつむ。
母親たちは
朝いちばんの

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