眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
 
た。高木重子は戒律の厳しいカルメル修道会の修道女の道に進み、大学卒業後須賀と対面できたのは(須賀の作品を信じるなら)一度きりだった。手紙も頻繁にやりとりできなかったようである。神のために自分の人生を捧げた高木重子が、須賀敦子がひとり、他のひとたちと違う道をいくのを、ちょっと、ふらふらしてて心配だけど、と言ったときの同じ視線を、須賀敦子はいろの違う鳩に向けながら、主と会話する。「なにも おそれずとよいのだ。」は、かつて高木が須賀にいったことばと同じであり、須賀が須賀自身に言い聞かせていることばでもあり、もしかすると主が須賀に言っていることばであるかもしれない。須賀という鳩が他のひと(鳩)と違う道を選
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