眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
だったかを思い出す。須賀は日本で見つけられなかった「全人間」という問題を追って一度目はフランスへ、二度目はイタリアへ渡った。それほどに、人間という言葉は須賀にとって重かった。ロンドンで、ひとり見ている一羽のいろの違う鳩のためにくるしんでいる須賀という人間は、もちろん日本人という肌のいろの違いも背負っていながら、セピアいろの鳩に重ねているのはそれだけでなく、ひとと違うものの見方をしてしまう(あるいはしたいと考えてしまう)、そのため日本でおとなしく親の勧める結婚もせず、かといって結婚しないカトリック女性が選ぶ唯一の道とすら言えた修道女の道も選ばず、しかしながら勉強をしているものの教授になりたいわけでも
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