眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
 
見えるから、紙の汚れなのかもしれない。一方、スペースも多用されており、須賀の手稿は原稿用紙に書かれているのではなく白紙に書かれているため、文字間の空間が、活字化したときにスペースになるものと、ならないものが出てくるが、スペースの有無というデジタルな差異ではなく、どちらかというと息の吸い方に似て、長い息があれば短い息もある、その長さに、あけられた空間は対応しているように思う。それにしても、「人間  が くるしむのは」の人間のしたにあけられた空間のながさに私ははっとする(編集では「人間」の下のスペースは一つ分にされているが、私には一つ半ぐらいには見える)。須賀にとって「人間」という言葉がいかに重要だっ
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