背きあう運動 〜貞久秀紀『リアル日和』後書〜/白井明大
 
ているから、詩が「詩」になってゆ
くには、二重の意識が働くことになり、「詩」は、二重に詩を隠し
ているともいえようか。
「詩」がたのしいのは、文字として固められた「詩」がぎこちない
瞬きと似ていながらも、「詩」にしてゆく作業自体は、「詩」になり
つつ詩へかえろうとする、背きあう運動としてあるからかもしれな
い。見ひらいたり、瞬きすぎたりしながら。

            (貞久秀紀『リアル日和』後書より引用)




 <詩であると思われるものをことばにしたものを「詩」と呼んでみるなら>と
ある。では、詩は何だろう。それは<在るかないかはわか
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