背きあう運動 〜貞久秀紀『リアル日和』後書〜/白井明大
 




 後書

 八つか九つの頃、瞬きが気になり、ひとたび気になると、目を見
ひらいていたり、瞬きすぎたりして、ぎこちなくなるということが
あった。意識しなくなるとともに症状は消えたが、(中略)
意識されてはじめて体が体になるならば、体が体であることから放
たれるには、意識から放たれていなければならないということであ
ろうか。
 詩は在るかないかはわからないけれど、詩であると思われるもの
をことばにしたものを「詩」と呼んでみるなら、詩であると思うと
きにはすでに意識が働いていて、詩であると思われるものを「詩」
にしてゆく作業にも意識が働いてい
[次のページ]
  グループ"詩を書くことに迷った夜のための詩の話"
   Point(2)