小詩集「マルメロジャムをもう一瓶」/佐々宝砂
 



あたしが生まれた家の台所は広かった
しかしそれは台所というより小汚い土間で
女以外の住人はたくさんのカマドウマとムカデ
煙で黒い天井の奥には蛇さえ住んでいたはずだ
タイルばりの流しにはどうにか水道が引かれていたが
ガスレンジなどという便利なものは存在しなかった

障子の向こうの別世界は男たちの居間で
そこではラジオが響いていた
台所にいてもラジオの音は聞こえたはずだが
母はラジオを聞いていただろうか

竈にむかって背を丸めてしゃがみこみ
焚き付けの新聞紙を筒に丸めて
きんぎょや薬種店のウチワで
はたはたと火種を煽っていた母は

台所だけは母の世界だった
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