■批評祭参加作品■ アンファンス・フィニ/和泉 輪
 
番好きだという人は多いと思う。かくいう私もその一人だ。この行「僕は遠い旅に出ようね。」という言葉で全てが昇華されている。多くの場合 読者は詩の最後にカタルシスを求めるものだが、そのようなことを差し引いても胸を張って好きだと言える。「僕」が「Enfance finie」を象徴する存在であることは前述したが、この行では何処か「私」と「僕」が重なってみえる。一度「僕は」と言いかけて「さあ僕よ」と言い直す。眼を閉じて暗唱するとき、いつも私は最後のこの一行で声が若干高くなる。意識している訳ではないのだが何故かそうなる。踏み出すことを怖れ、立ち止まっている過去の自分を励ますような、その手を引いて導いてゆくよう
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